校歌
府立第九中學校校歌
第一校歌
1931年/昭和6年-1945年/昭和20年
作詞:藤村 作 作曲:下総皖一
第一校歌は九中創立後3年近く経た1930年末に校友会誌『興国』第3号(1930年12月20日発行)に初めて発表された。 この年は、体育館、剣道場、柔道場の整備、九中天文台、九中記念文庫の誕生など、学校の内容がとみに充実された年といえる。
国家主義的な教育が普通であった当時の旧制中学であるが、特に九中は陸軍士官学校、海軍兵学校への進学を目指す生徒が多く、 陸軍士官学校への入学者が全国一位になったこともあった。陸軍士官学校への進学は、東京帝国大学よりも難しいといわれていた時代である。
歌詞は、将来日本を背負って起つ生徒の意気を鼓舞するかのようであり、また時代背景もあってかかなり勇ましい表現ではある。三番では、校章の構成が克明に歌われている。
作詞者:藤村 作(ふじむら つくる)1875年-1953年
国文学者。文学博士。
福岡県柳川出身。旧制第五高等学校を経て、1901年に東京帝国大学国文学科卒業。
広島高等師範学校教授などを歴任して、1922年東京帝国大学教授。後東洋大学第9代学長。
井原西鶴の研究者として優れた業績を残した。雑誌『国語と国文学』を創刊。各地学校の校歌に詞を提供。
1950年-1967年北園高校国語科教諭の荻原ちとせ先生は息女。その姉にあたる唱歌童謡作家である近藤宮子は 童謡の「チューリップ」、「こいのぼり」などの作詞者。
作曲者:下総皖一(しもふさ かんいち)本名は「覚三」 1898年-1962年
作曲家。1929-1932年府立九中初代音楽担任。
埼玉県大利根町出身。1920年東京音楽学校で作曲を信時潔に師事し首席で卒業。
ベルリン芸術大学留学を経て、後に芸大ではブラームス-ヒンデミット系のドイツ音楽語法の先駆者となった。門下に芸大で團伊玖磨、佐藤真、芥川也寸志らがいる。
「野菊」、「かくれんぼ」、「たなばたさま」など童謡・文部省唱歌を多く作曲した。
また多くの小学校・中学校・高等学校の校歌の作曲も手がけており、総作曲数は1000曲以上にのぼり堅実な音楽を残した。
1934年同校助教授。1940年文部省教科書編集委員。1942年同校教授、1956年東京芸術大学音楽学部長。
都立九中・二十四中合併記念校歌
第二校歌
1946年/昭和21年-1950年/昭和25年
作詞:坊城俊民 作曲:田崎篤次郎
1943年、都制実施により東京都立第九中學校と改称し、後1946年、九中内に併設されていた都立第二十四中學校を合併したことによって第二校歌は生まれた。合併後も始業式、卒業式に際し、九中の生徒は第一校歌を歌い続けており、 100名の二十四中の生徒は沈黙したままであることを知った常田九中初代校長の配慮が、新しい校歌創作の基となった。
歌詞の終わりに「九中」とあることで、校名が僅か4年の間に九高、そして北園と変わったために、この校歌が歌われたのも極めて短い期間だった。3拍子の軽快で明るい楽曲は第一校歌とは打って変わり、まさに希望に満ちた戦後の始まりを象徴している。
作詞者:坊城俊民(ぼうじょう としたみ)1917年-1990年
国文学者。1943年-1964年国語科教諭。
東京市にて、堂上華族の嫡子として誕生。父坊城俊良は伯爵で宮内官。神田区駿河台と麻布区笄町に育つ。 学習院高等科を経て、1941年東京帝国大学文学部国文科卒業。
1964年-1977年、石神井高校教頭、池袋商業高校校長、志村高校校長を歴任。
宮内庁式部職嘱託として歌会始講師(こうじ)を務める。歌会始被講会会長。
著書に『焔の幻影』(角川書店)、『末裔』(草美社)、『ふるさとの青春―王朝文学管見―』『京の翳―王朝文学管見―』(共に表現社)などがある。
作曲者:田崎篤次郎(たざき とくじろう)
1941年-1945年英語科教諭。
東京浅草出身。東京帝国大学文学部英文科卒業。
1946年第五高等学校教授、1948年熊本大学助教授兼務、後に教授となるが、この間熊本大学合唱団の指揮者を務める。1959年武蔵大学教授。
都立狛江高校や上板橋第二中学校の校歌を坊城先生とともに作っている。
英文科出身、英語科教諭にもかかわらずチェロを演奏し作曲を手がけるなど、音楽に造詣が深かったようだ。
都立北園高等学校校歌
第三校歌
1950年/昭和25年-
作詞:坊城俊民 作曲:横田 勇
第三校歌は1950年、校名が北園高等学校に変更されたために制定された。校歌では珍しい混声四部合唱曲である。作曲者の横田 勇先生の談によると、1949年に女子生徒が入学したことから混声四部合唱曲にしたという。
また、北園の校歌を作曲する時は大変苦労したが、生徒たちが第二校歌を楽しそうに歌っているのを聴き、歌いだしのフレーズに使わせていただいたとのこと。
歌詞、旋律とも独立した3節からなるユニークな構成である。作詞は第二校歌と同じ坊城俊民先生。歌詞について、これまではたとえば「しるべせむ」を「しるべせん」と表記することが多かったが、 文語体であること、作詞者自筆原稿、歌碑通りに旧かなづかいとした。自筆原稿では「ひゝらぎの葉はみどりなり」の繰り返しはないが、歌唱では曲に合わせるため繰り返して歌われる。
作曲者:横田 勇(よこた いさむ)1915年-
声楽家。1948年-1960年音楽科教諭。
水戸市出身。1941年東京音楽学校卒業。青森女子師範学校や淀橋第一小学校教諭を勤めながら、1945年東京音楽学校研究科を修了。1960年-1978年小石川高校、
1969年-1978年東京芸大講師を兼任。1978年-1983年武蔵野音大、東京音大講師。文京九中の校歌も作曲。
<参考資料>
時計台の見た青春―府立九中 都立北園高校卒業生 六十年の記録―、Wikipedia 等
<歌・演奏>
コーラス 九曜混声合唱団
ピアノ伴奏・編曲 大野晶代 北園41期
シンセサイザー 佐藤誠一 北園37期